当寺の創立は不明ですが、白山信仰のもと平安中期には、この付近に、中宮八院の内、長慶寺・善興寺の2ヶ寺があり、飛地の坊舎があったようですが、永く廃寺同然であったようです。
ただ境内には、寛永年間の常夜灯の台座が現存しており、坊舎の痕跡を残しています。
更に衰徴していましたが、昭和に入り、行者の弘龍氏が弘法大師を勧請し、弘法苑として再興しました。
平成10年10月、高野山第四〇八世(管長)崇峯大和尚が当寺に巡錫され、護摩修法を勤修、翌11年にも再度来訪され法要が行われました。
法要後、当寺を「寶生寺(ほうしょうじ)」と称するように諭されました。
以後、寺名を『五鈷山 寶生寺』とし、現在に至ります。
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